2007年11月19日

【画像有り】秋山好古陸軍大将の墓参りに行ってきますた

軍ヲタでなくとも、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んだ事がある人なら、秋山好古陸軍大将の名前を聞いた事がある人は多いと思います。

「坂の上の雲」の歴史描写について、それが小説として書かれたものか歴史研究の結果として描かれたモノであるのかにについては今さら論じる必要はないと思いますが、少なくとも秋山好古大将の後世の評価や研究と、同小説の中で描かれている英雄像とで、それほど大きな違いは無い、明治という時代にのみ存在が許された痛快な英雄の一人だと思っています。
(現代の自衛隊ではもちろん、官僚組織が完成された日露戦争以降の陸軍においては、下手したら中佐止まりであったであろう素行の人物ですw)

個人的に細々と、明治維新の新時代から始まり、昭和20年という、2000年以上に渡って続いた「日本」という国家が初めて「外敵」にその統治権を奪われるに至った近代史を研究するのを趣味にしていますが、その中でも、秋山好古大将を調査するフィールドワークは特に好きで、伊予地方に取材に行くのはこれで4度目、お墓参りに行くのは今回で2度目です。

秋山好古大将という人は、陸軍三長官(陸軍大臣、参謀総長、教育総監)に昇りながらも、その生き方からは私利私欲や栄達の野心をまるで感じさせず、「旧い日本人」として多くの人の共感を呼ぶ人物であったと思います。
(好古は1920年に教育総監に就任し、同23年に予備役に編入され、陸軍を退役)

前置きが長くなりましたが・・・
日露戦争の黒溝台会戦での活躍が有名な好古大将は、同時に日本陸軍騎兵の実質的な創設者でもありますが、そのお墓は、とても日本を代表する人物のそれとは思えないほど質素なものです。

yoshi1.JPG

今でも有志の人によってきれいに清掃が行き届き、毎日日章旗が掲げられるお墓は、墓石の簡素さとは裏腹に、多くの人の想いに支えられ続けてる、とても印象深いものです。
(「永仰遺光」は、「永く仰ぎて光を遺す」と読み下します。)

秋山好古大将のお墓は、道後温泉鷺谷駐車場に隣接していて、同駐車場まで行けばすぐにわかりますが、道後温泉利用客の専用駐車場ですので、駐車するのであれば、日帰り入浴や食事の利用などを必ずして下さい。

よろしくお願いします。
posted by ф 九十七式ヘタレリーマン ф at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦史
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